大阪地方裁判所 昭和36年(わ)5694号 判決 1962年12月24日
本籍 朝鮮全羅南道務安郡都草面万年里
住居 大阪市西成区出城通六丁目四番地
山木清方
運送業手伝 山木信一こと宋幸泰
昭和一一年一二月八日生
右の者に対する傷害、兇器準備集合、監禁各被告事件について、当裁判所は検察官大塚利彦出席のうえ審理を遂げ次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役一年に処する。
本件公訴事実中傷害の点について被告人は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は大阪市浪速区新川町三丁目六五五番地に事務所を置き所謂暴力団として一時附近の盛り場に勢威をふるつた本多会久保組分家「山木会」の会長であつたが
第一、昭和三六年五月二五日午後七時頃、同じ方面の暴力団「奥島組」組員宇野健一がその前夜山木会会員数名によつて暴行を加えられたことに報復するため奥島組員等が山木会に殴り込みをかけようとしている動向を察知するや、同会及びその支援団体たる「井上会」の会員等約十数名と共に、もし奥島組が来襲したときは共同してこれに危害を加える目的をもつて木刀三本、空気銃(廃品)一挺等の兇器を準備して上記山木会事務所及び附近路上に集合し
第二、同夜奥島組から襲撃をうけたことに報復するため、重田十三男等と共謀のうえ、翌二六日午後一時半頃同市南区道頓堀を通行していた奥島組分家親栄会会員阪口克次及び佐野敏夫から奥島組長の居所を聞き出すべく同人等を同市天王寺区東高津南之町三〇番地ホテル「有楽」に連行し、同ホテル二階客室において右重田等約十名の山木会会員等と共に前記両名をとりかこみ、口々に「組長の居所をいえ」。「いいさえすればかえしてやるが、嘘をいうとやつてしまうぞ。」等と申し向けたほか被告人において所携の拳銃をつきつける等して脅迫したうえ、更に右阪口、佐野の両名を大阪市内二ヵ所に連行し、同日午後七時半頃までの間同人等を脱出できないようにして監禁し
たものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(累犯前科)
被告人に関する前科照会回答書によれば、被告人は昭和三三年一〇月一六日大阪地方裁判所において恐喝及び器物損壊の罪により懲役一年に処せられ昭和三四年一〇月一一日右刑の執行を受け終つたことが認められる。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法第二〇八条の二第一項、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、判示第二の所為は刑法第二二〇条第一項、第六〇条に該当するので右第一の罪につき所定刑中懲役刑を選択し、前示前科があるから同法第五六条第一項、第五七条により右各罪の刑につき再犯の加重をし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文但書第一〇条により併合罪加重をした刑期の範囲内において被告人を懲役一年に処する。
(無罪の理由)
本件公訴事実中傷害の点の要旨は、「被告人は、昭和三六年一二月三日頃、大阪市浪速区南日東町二〇番地富貴矢荘アパートの被告人方居室において、同棲中の豊川史子が被告人に反抗的態度を示したことに激昂し、同女を腰掛や竹箒で殴打し或は剃刀で同女の頭髪を切り取る等の暴行を加え、よつて同女に加療約三日間を要する左頭頂部挫傷、左頬部打撲傷等の傷害を負わせたものである。」というのである。そして、被告人の検察官に対する昭和三六年一二月一二日付供述調書≪中略≫によれば、被告人が右日時場所において、同居中の豊川史子が昼過ぎても風邪気味だと言つて起きず、被告人に口答えするのに立腹し、同女に対して三面鏡用の別珍張り腰掛及び竹箒でその頭部背部等を殴打し、剃刀でその頭髪の一部を切り取る等の暴行を加え、その結果同女に右のとおりの傷害を負わせた事実を認めることができる。
ところで、本件起訴状の公訴事実には被告人と豊川史子との関係について単に「同棲中の豊川史子……」と記載されているが、その意味するところは被告人と同女との関係が夫婦関係でなく私通関係にすぎないことにあるものと思われる。しかしながら、右各証拠と証人山木圭子の当公判廷における供述を綜合すれば、被告人と豊川史子とは世間で慣習的に行われる婚姻の儀式こそ挙げていないが、上記傷害行為当時に至るまですでに相当の期間一定の住居において同居を続けていたばかりでなく、本件検挙により被告人が二十数日間勾留され保釈により釈放された後引続き現在に至るまで同居して継続的に共同生活を営んでいること、右共同生活は両当事者の婚姻意思に基くものであつて、被告人と同女との関係は夫婦の実質を備えた事実上の婚姻即ち内縁関係にあたることを認めることができ、被告人の上記傷害行為は、その原因について被告人に批難されるべき点が多く、又その暴行は殆んど一方的に被告人によつてなされたものであるとはいえ、やはり夫婦間に些細なことを原因として起つた所謂夫婦喧嘩によるものといわなければならない。
そこで、その可罰性について考えてみるに、本件の如き夫婦喧嘩に基く軽微な傷害行為の可罰性には一定の限界があり、それが特に強暴な暴行に基くものでなく、正常な夫婦関係が維持されている限り国家の刑罰権より放任された行為として可罰的違法性を欠くものといわなければならない。けだし、個人の権利自由の平等的保護に重点をおく現行刑法は、生命身体財産自由等数多の個人的法益に対する侵害を犯罪として規定しているけれども、それはあくまで公共の立場から制裁を科さずに放置し得ない法益の侵害即ち公共の立場から処罰の必要と価値のある法益の侵害のみを犯罪として処罰するに止まるべきものとすべきところ、他人のみだりに窺うことを許さない純粋に私的な生活関係である夫婦間に往々見られる夫婦喧嘩に基く軽微な傷害には、それが特に強暴な暴力に基くものでなく、夫婦関係の破壊を伴わない限り、明らかに刑法によつてこれを処罰するだけの必要も価値も認められず、かえつてその処罰により他の弊害をもたらす恐れがあるからである。
そして、夫婦関係その他の私的な生活関係、私的な道徳関係について法律的強制を排除している事例は実定法上必ずしも乏しくなく、例えば民法第七五四条は夫婦間の約束をすべて法律問題としない旨を規定し、姦通罪の規定は昭和二二年法律第一二四号をもつて廃止されたし、右改正前の刑法においても姦通罪は親告罪とされていた。又刑法が窃盗不動産侵奪詐欺恐喝横領等の財産犯について同法第二四四条の親族相盗例を適用ないし準用し、親族間において犯されたこれらの犯罪について刑を免除し又は告訴を待つて論ずべき旨を定めていることは周知のとおりであり、これらの事例はいずれも夫婦喧嘩による軽微な傷害について可罰性を否定する上記の考方に有力な実定法的根拠を与えるものである。
もとより、被告人の上記傷害行為は、婚姻が夫婦の同等の権利を基本として相互の協力により維持されなければならない民主的社会において、倫理的な批難を免れることはできないし、広い意味においては不法行為でさえあるであろう。しかしながら、これを刑法的見地から見るならば、それが上記認定の通り、治療日数三日の軽微な傷害であつて特に強暴な暴行に基くものでもなく、夫婦関係の破壊も伴わない以上、当事者間の自律に委ねられ国家の刑罰権より放任された領域の行為として、刑法上の違法性を阻却し、罪とならないものといわなければならない(親族相盗は刑の免除又は親告罪に止まり犯罪の不成立にまで至らないが、これは相当広範囲の親族間の関係を一律に規定しているのであるから、この点もかような規定のない傷害罪の場合に特殊な親族関係である夫婦関係について上記の如き違法性阻却を認める妨げとならないと解する)。よつて被告人に対する本件公訴事実中右傷害の点については刑事訴訟法第三三六条に従つて無罪の言渡をする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 網田覚一 裁判官 石松竹雄 楠本安雄)